小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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とある人から薦められて『マンスフィールド短編集』(安藤一郎訳・新潮社)を読んだ。
私もこの間まで知らなかったのだが、一応簡単に紹介すると、キャサリン=マンスフィールド(Katherine Mansfield)はニュージーランド出身のイギリスの女性作家。1923年に34歳の若さで亡くなるまで、主に優れた短編を書き続けた。これだけ書くと、なんだか中島敦に似ているが、もちろん作風は異なっていて、中島が漢文をベースにした硬質な文体の作家なら、マンスフィールドは行間から少女のさざめく声が聞こえてきそうな、軽やかで繊細な文章を書く作家である。換言すれば、少女時代の感受性に非常に意識的な文体である。マンスフィールドは決して、心は少女のまま体だけ大人になった作家ではない。客観的な大人の目で少女のまなざしを客体化し、それを作品の中で結晶化している。そのみずみずしさ、細やかさ、鋭さは、代表作「園遊会」では、華やかなパーティを目の前にして貧困層の男の死を気にかける、ローラという少女の心の機微などにも表れているが、その辺りのことは解説でも散々触れられているので、私は例えば、何気ない少女の行動を捉えた一文に注目する。
また金の化粧箱が出された。また小さなパフがふられた、また彼女と鏡の間の、すばやい、ひどく秘密ありげな目くばせ。(「若い娘」より抜粋)
年若い娘が化粧直しをする場面を、それを見守る青年の視点から捉えた描写だが、鏡に見入る娘の様子を「秘密ありげな目くばせ」と描いているところが非常に巧い。娘は鏡の中の自分に向かって、二人の間だけの秘密の目くばせをする。男はこんな鏡の見方を絶対にしない。大まかに言って、男が鏡を見るのは自己満足・自己陶酔のためであって、他人のためではない。女が鏡を見るとき、そこに自己満足が一片もないとは言わないが、基本的にそこにある思いは、
「私、きれい……うっとり」
ではなくて、
「私、きれいに見えるかしら?」
である。白雪姫に出てくる王妃が魔法の鏡に向かって「世界で一番美しいのは誰?」と聞くのと根本は一緒である。女にとって鏡とは、他人に見られることを意識して自問自答するための道具であり、だからこそ、かのナルキッソスのように水面に映る己に見入るあまり溺死することなく、鏡を見ながら他人の目にさらしても大丈夫かどうか、他の女と比べても大丈夫かどうかチェックして、オッケーよと合図を送る。目配せをする。
ナルシシズムが青年の青臭さを代表するなら、鏡に目配せをする行為はまさに若い娘の特性を表している。そして女は、この若い娘的性質をずっと引きずり続けるので、少女から中年になって老女になっても、男のように加齢で増してゆくかっこよさとは基本的に縁がなく、シミ一つシワ一本に大いに振り回され、白雪姫(理想)からかけ離れる一方の己を憂えるのである。
マンスフィールドの描く女性達はいずれも、こうした少女性を随所にかいま見せている。ゆえに彼女の清澄で透明な文体は、活き活きとしていながらどこかしら哀愁を漂わせている。あまり英語は得意ではないが、原文のリズムも感じてみたいと思わせる作品集であった。
紹介してくれたG氏に感謝。
また金の化粧箱が出された。また小さなパフがふられた、また彼女と鏡の間の、すばやい、ひどく秘密ありげな目くばせ。(「若い娘」より抜粋)
年若い娘が化粧直しをする場面を、それを見守る青年の視点から捉えた描写だが、鏡に見入る娘の様子を「秘密ありげな目くばせ」と描いているところが非常に巧い。娘は鏡の中の自分に向かって、二人の間だけの秘密の目くばせをする。男はこんな鏡の見方を絶対にしない。大まかに言って、男が鏡を見るのは自己満足・自己陶酔のためであって、他人のためではない。女が鏡を見るとき、そこに自己満足が一片もないとは言わないが、基本的にそこにある思いは、
「私、きれい……うっとり」
ではなくて、
「私、きれいに見えるかしら?」
である。白雪姫に出てくる王妃が魔法の鏡に向かって「世界で一番美しいのは誰?」と聞くのと根本は一緒である。女にとって鏡とは、他人に見られることを意識して自問自答するための道具であり、だからこそ、かのナルキッソスのように水面に映る己に見入るあまり溺死することなく、鏡を見ながら他人の目にさらしても大丈夫かどうか、他の女と比べても大丈夫かどうかチェックして、オッケーよと合図を送る。目配せをする。
ナルシシズムが青年の青臭さを代表するなら、鏡に目配せをする行為はまさに若い娘の特性を表している。そして女は、この若い娘的性質をずっと引きずり続けるので、少女から中年になって老女になっても、男のように加齢で増してゆくかっこよさとは基本的に縁がなく、シミ一つシワ一本に大いに振り回され、白雪姫(理想)からかけ離れる一方の己を憂えるのである。
マンスフィールドの描く女性達はいずれも、こうした少女性を随所にかいま見せている。ゆえに彼女の清澄で透明な文体は、活き活きとしていながらどこかしら哀愁を漂わせている。あまり英語は得意ではないが、原文のリズムも感じてみたいと思わせる作品集であった。
紹介してくれたG氏に感謝。
(NOTE:No.187)
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