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小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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 私の執筆暦はけっこうな年数に上る。その中で、これまでに二度ほど大きな転換点がある。とはいっても、何かで認められて自信がついて躍進したわけではない。逆である。頭から否定されて自信も何も木っ端微塵になったのだ。

 一度目は小学生ぐらいのときである。純粋に書くことが好きで自分の書くものも好きで、それ以外の価値観など知らなかった私は、たぶん誰もが私と同じように私の書くものを楽しんでくれると思い込んでいた。(そんな意識はなかったが、この場合意識にすら上らなかったということが、盲信の証拠になるだろう。)その盲目状態にはじめに鉄槌をくれたのは祖父である。正確なことは覚えていないが、なんのてらいもなく自作の小説(と呼べたかは謎)を見せた私に、祖父は意味が分からないというようなことを告げたと思う。私の記憶にある限りでは、これが、私の文章が認められない世界があることを知った最初である。
 二度目は大学生になってからである。いつか祖父にも読んでもらえる作品を書きたいと地道な努力を重ねていた私は、またも別の人物からすげなく否定されることになった。その人物とは大学の恩師である。
 もちろん私は否定されたことに関して、理解されなかったことに関して、辛いと思ったし悲しみもした。その感情を癒すために、自分が満足していればいいや、認めてくれる人にだけ読んでもらえればいいや、と思うのもありだったかもしれない。ただ、私にとってそれは、一時の感情を慰めるのには役立っても、根本的には何も解決してくれない思考法だった。なぜなら私は、鉄槌をくれた両人と、その文章とを心の底から敬愛していたからである。
 それからというもの、何とかして認められるレベルになろうと再び私は努力を重ねたが、その望みは達成されることなく終わった。両人は共に現在は故人である。私の手許には絶対に覆ることのない否定だけが残った。もう私がどれだけ研鑽を積み重ね、どれだけすばらしい作品を書こうとも、この二つの否定だけは永久に否定のままなのだ。
 しかし私は、自分が両人の存命中になぜもっとがんばらなかったかということに関しては苦い後悔がいまだに残るけれども、否定が永久に否定のままであることそのものに関してはあまり悲しんでいない。むしろ、肯定が決して達成されない事態を私の文章にもたらしてくれたことに感謝している。
 小説だけでなくこの雑記に類する文章も含め、私が何かをこうであると考えて発表すれば、かならず違うと考える他者がいる。逆に言えば、違う(NO)という他者がいるから、私は「こうである」(YES)と考える。いつでも私の意見(YES)は、他者の異見(NO)と表裏の関係にある。極論すると、否定する他者を認めなければ、その次元においてでなければ、私は一つも肯定、つまり自分の思考を表す文章を書けない。そもそも、祖父や恩師に認められようとするなら、両人(の否定)をまず認めなければ、努力自体が何に依拠しているのか不明になっていただろう。
 さて、大体上記のような考えで私は執筆を続けている。HPを持ったのは執筆暦から言うとここ最近のことだけれども、発表は執筆と同じぐらい長くやってきたことなので、これまで祖父や恩師以外にもたくさんの人に読んでもらった。好きだといってくれる人もあれば、原稿を渡したのにそのままうやむやになってしまって、たぶんおもしろくなかったんだろうなと推測するほかない結果に至ったこともある。直接わからなかった、読めなかった、と告げてくれた人もある。相手の反応は十人十色で、それだからいいのだと思うし、思うからこそ私は発表をやめていない。
 書き手としての私、発表する者としての私は、読み手、受け手の人々に対していかなる強制力も持ち合わせない。著作権云々は別にしても、例えば、読んでほしいと思っても読めと命じる権利はない。気を遣わなくてもいいと思っても、読むなということなどできない。できないからしないというと語弊があるが、つまりは、私の意思や感情から読み手は自由だと言いたいのである。これは、読むか読まないかが自由というだけではなくして、こんなことを書き連ねている私に接して、そんなこと言われてもやっぱり気遣いはすると思ったり、それなら読まないと判断したり、そういうことも含め、すべて自由、という意味である。読者の理由は私の管轄外で、私はただそこから生じた結果を、今度は受け手として真摯に受け止めるだけである。
 
 サイトももうすぐ二年目を迎える。サイトを開設して悪かったとは思わないが、私の不徳でさまざまな問題が生じた二年でもあった。懺悔の意味もこめ、ここで一つ、大前提を確認した次第である。 
(NOTE:201)
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About writer
Name:Misumi Eiri(3A)
Home:SERANGOL
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