小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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そろそろ潮時だろう、と言うことで改めて「人魚」について語ってみようと思います。
「人魚」はもちろん一個で完結した小説ではありますが、私の脳内では連載中の「流れる涯」の対極に位置する作品でもあります。そして、中編小説としては、過去の作「古筆」の進化形とも言えます。連載ものでやれない実験をやった作品、かつ「古筆」で成し得なかった課題を克服しようとした作品、とでも言えば適当かも知れません。目ざすところは昔から変わっていないのですが、その手法を試行錯誤しているんですね。
一口に言えば、「人魚」はストーリーを一本に絞ることで、テーマの多様化を試みた小説です。ストーリーの流れは簡潔平明で、ご感想を見る限りにおいても、たぶんほとんどの読者の方がストーリーの大筋を読み違えることはなかったのでは、と思います。その反面、ストーリー解釈の幅が少ない分、肯定否定もひっくるめてテーマは多種多様に読み取ってもらえたのではないでしょうか。無論、野放図とは違って大きなテーマとしては「境界」があるんですが、その見え方が様々だったのでは、と言うことですね。前作「古筆」でも境界の多様性を見せることには挑戦したんですが、そのときに読者の方から受けた指摘に、「境界がいろいろ盛り込まれているのは分かるが、それを読み解こうと思えるほどストーリーに魅力を感じない」というとても手痛いものがありました。今回はそれを克服すべく、ストーリーの軸を逞しくして、その方面から「境界」を感じとってもらえるように工夫を凝らしてみました。結果、「人魚」は「古筆」で得た問題点を克服する、と言う意味では、読者の方々のご指摘を糧にできたのではないか、と勝手に思ってます^^;
もちろんそれで到達度が100%かと言えばそんなことはなく、新たな課題点も見えて参りました。連載ものでは、長さゆえにテーマの多様化が比較的易く、ストーリーにも含みを持たせることができますが、短編・中編のジャンルで、短さゆえにできることは何か。さらに方法を模索して、またその成果を長編にも活かしていければ、と思います。
最後になりましたが、「人魚」を読んで下さった方、ご感想やご批評を下さった方、本当にありがとうございました。頂戴したご指摘は「古筆」のときと同様、また次へのステップの糧とさせていただきます。
今回はかなりターゲットを絞り込んだつもりです。ある意味で「大人」が読んでも面白くない話を目ざしました。ここに言う「大人」は単純に数字上の話ではなく、「大人」の読み方をしたら面白くない、と言う意味です。世の中にはおおまかに分けて二種類の小説があって、一方は成熟した小説、もう一方は未成熟な小説、個人的な感覚で具体例を出せば、前者は思いつきませんが、後者は三島由紀夫でしょうか。これは無論、小説としての完成度が高いとか低いとか、巧拙や優劣を判断するものではありません。大人文学と青年文学と言い換えられるかな? とにかく二つの流れがあると思います。
どちらを良しとするかは個人の嗜好によるでしょうが、私自身はどう考えても後者寄りです。確かに円熟したまなざしで綴られる一分の隙もない、すでに完成された、大人が愛でる一個の芸術品のような作品も、それはそれで優れていると思いますが、私は青臭い小説の方が好きです。
別に三島由紀夫と自作を比べるつもりは毛頭ありませんが(笑)、その点「人魚」はどうだったのかなー、と考えています。作品の上手い下手ではなくて、「大人」が読んでもつまらない話としてはどうだったのかな、と。
一口に言えば、「人魚」はストーリーを一本に絞ることで、テーマの多様化を試みた小説です。ストーリーの流れは簡潔平明で、ご感想を見る限りにおいても、たぶんほとんどの読者の方がストーリーの大筋を読み違えることはなかったのでは、と思います。その反面、ストーリー解釈の幅が少ない分、肯定否定もひっくるめてテーマは多種多様に読み取ってもらえたのではないでしょうか。無論、野放図とは違って大きなテーマとしては「境界」があるんですが、その見え方が様々だったのでは、と言うことですね。前作「古筆」でも境界の多様性を見せることには挑戦したんですが、そのときに読者の方から受けた指摘に、「境界がいろいろ盛り込まれているのは分かるが、それを読み解こうと思えるほどストーリーに魅力を感じない」というとても手痛いものがありました。今回はそれを克服すべく、ストーリーの軸を逞しくして、その方面から「境界」を感じとってもらえるように工夫を凝らしてみました。結果、「人魚」は「古筆」で得た問題点を克服する、と言う意味では、読者の方々のご指摘を糧にできたのではないか、と勝手に思ってます^^;
もちろんそれで到達度が100%かと言えばそんなことはなく、新たな課題点も見えて参りました。連載ものでは、長さゆえにテーマの多様化が比較的易く、ストーリーにも含みを持たせることができますが、短編・中編のジャンルで、短さゆえにできることは何か。さらに方法を模索して、またその成果を長編にも活かしていければ、と思います。
最後になりましたが、「人魚」を読んで下さった方、ご感想やご批評を下さった方、本当にありがとうございました。頂戴したご指摘は「古筆」のときと同様、また次へのステップの糧とさせていただきます。
(NOTE:No.178)
今回はかなりターゲットを絞り込んだつもりです。ある意味で「大人」が読んでも面白くない話を目ざしました。ここに言う「大人」は単純に数字上の話ではなく、「大人」の読み方をしたら面白くない、と言う意味です。世の中にはおおまかに分けて二種類の小説があって、一方は成熟した小説、もう一方は未成熟な小説、個人的な感覚で具体例を出せば、前者は思いつきませんが、後者は三島由紀夫でしょうか。これは無論、小説としての完成度が高いとか低いとか、巧拙や優劣を判断するものではありません。大人文学と青年文学と言い換えられるかな? とにかく二つの流れがあると思います。
どちらを良しとするかは個人の嗜好によるでしょうが、私自身はどう考えても後者寄りです。確かに円熟したまなざしで綴られる一分の隙もない、すでに完成された、大人が愛でる一個の芸術品のような作品も、それはそれで優れていると思いますが、私は青臭い小説の方が好きです。
別に三島由紀夫と自作を比べるつもりは毛頭ありませんが(笑)、その点「人魚」はどうだったのかなー、と考えています。作品の上手い下手ではなくて、「大人」が読んでもつまらない話としてはどうだったのかな、と。
(NOTE:No.181 09/02)
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