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 一番桜も咲いたと言うことで桜のお話を少々。ってまあ、別に語れるほど知らないんですが(ぇ?

 今でこそ日本列島これ桜大国みたいになってますが、昔からお花見文化が根づいていたわけではありません。花を観賞するという行為は中国から輸入されたもので、しかもその最初は梅が圧倒的多数でした。万葉集には梅に関する歌が118首収められているのに比べ、桜の歌は44首です。中国発の漢詩に梅や桜の美しさが詠まれてるのを当世の知識人達がこぞってまねしたわけです。
 そのまねっこがだんだん日本文化として様になってくるにつれ、梅より桜の方が優勢に転じてきます。947年に紫宸殿(内裏の正殿)の前庭に植えられていた梅が桜に交替したころから都の流行花は桜になり、古今和歌集では花と言えば桜を指すまでになります。
 まあ、なんでそんな風になったかって言うと、桜の方が日本人の好みにあったんでしょうねーぐらいしか言えないわけですが(……ぉぃ)。ひとつには両者の惹きつけるものの違い、すなわち梅は香り、桜は花弁であることが挙げられるでしょう。桜吹雪とは言いますが梅吹雪とは言いません。梅大好きだった菅原道真も詠んでますが、
 東風吹かばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ
 梅の花で一番魅力的なのはその香りです。
 一方の桜は、春になるといっせいに花開き、またたく間に散ってしまう花弁の姿が人の心をつかんできました。儚さのイメージは香りではなく散り急ぐ花弁と結びつきます。
 そもそも「さくら」の語源として、記紀の木花之佐久夜毘売(このはなのさくやびめ)の伝承があります。日向の高千穂の峰に天降った瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が二人の娘と結婚することになったとき、姉の磐長姫(いわながひめ)は顔が醜いので送り返し(ひどっ)、妹のサクヤビメだけ娶った。するとこれを知った姉妹の父大山津見神(おおやまつみのかみ)は嘆いて、イワナガヒメによって御子の命が石のごとく不動であるように、サクヤビメによって御子の未来が桜花のごとく栄えるようにと祈願して姉妹を一緒に嫁がせたのにサクヤビメだけを選んだのならこの先の天皇の生命は桜のようにはかないことでしょう、と。それで天皇の寿命は永遠ではなくなった、そういう伝説があります。本居宣長によれば、サクヤビメの「サクヤ」が「サクラ」に転化したのだとか。花期の短さと寿命の短さがイメージ的に重ねられるなかで、桜の花が一番薄命のイメージに当てはまったのでしょう。
 ちなみに日本五大昔話の一つに花咲爺がありますが、燃えつきた灰をまけば桜の花が咲き誇るというストーリーも、日本古来の死と再生にまつわる儀式に関係あるようです。桜の花は生命の儚さ、それ故の美しさ、生命と隣り合わせにある死、それらのものと深く結びついてきたわけです。
 で、このイメージはやがて近代になると、ご存知戦意高揚のために利用されます。日本男児たる者、祖国のために桜花のごとく散りぎわ美しく死んでこそ本懐、特攻隊などはその極みです。若者の戦死と桜の散る光景は美しく結び合わされ、桜は国花、忠君愛国の象徴となる。日本が本格的に軍国主義に走り出す昭和の初めに、梶井基次郎が「桜の樹の下には屍体が埋まってゐる!」と言うわけですが、ここにくると桜は、春の生命の美しさと言うより死と親しむ花のように思えますね。
 というわけでまとまりもなく桜のお話でした。(なんだこのテキトーな結び方……)
(NOTE:No.150)
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Name:Misumi Eiri(3A)
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