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小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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 一般に言って空想は子どもの特権であり、想像は大人の仕事である。空想は天高く飛翔し、想像は低空を飛行する。

 小説の人物を想像するには、地を這うような作業が必要である。検察が事件を立件するためにあらゆる証拠を集めるように、その人物を成り立たせるためには精確な想像、あらゆる角度からの想像が要る。
 作中の人物は、たとえ私小説であろうと、そこに表れる「私」が書き手の現在進行形の「私」と完全に一致しない、という意味において他人である。そして他人の存在は、この「私」が消えない限り究極のところでは決して理解し得ない。理解しようとする主体自体が、他人と自分との間にできた永遠の防波堤なのである。ゆえに他人の「私」に少しでも近づこうとするならば、いかに自分が自分というフィルターを通してしか他人を知りえないかを自覚し、その上でできうる限りの客観的事象を集め、綿密な想像をすることが肝要である。簡単に言えば、決めつけないことである。対話の心を失わないことである。相手から返ってくる言葉・行為・態度、すべてを受け止め、常にそこから離れずに彼の内部を想像すること。それが地面すれすれの想像である。このことを怠り、自分の殻に閉じこもって相手を拒否した場所でどんなに彼のことを考えても、それは中途な高さをふらつきながら下手な独断をしているに過ぎない。想像は地面に近づかなければならない。子どもにはできない所以である。
 小説の人物も同じである。書き手は彼の過去も未来も内なる考えもすべて知っているようだが、決して自分そのものではない。彼は想像の中の他人である。もし想像を怠ければ、たちまち彼は独断の汚穢にまみれ、読み手には理解不能なまったく現実味のない人物に堕してしまうだろう。
 彼には彼の過去があり現在があり未来があり、そして「私」がある。書き手としての私は、彼の「私」を過去と未来の両方から想像し、彼の現在を書いてゆく。私は彼に聞く、それをしたのはなぜか、何を考えているのか、どうしてそうするのか、常に問いかけながら彼を想像する。結局、書き手の私は起こった出来事、これから起こる出来事を外から知っているだけなのだ。
 彼を質問攻めにしながら私は筆をとる。実際に書き起こすまで私は彼の内面を知らないような気がする。想像力を駆使して書くという行為は、はたして分かってから書くのか分からないから書くのか、分かるのが先か書くのが先か、いつもあいまいで不透明な領域に漂っている。
(NOTE:No.162)
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About writer
Name:Misumi Eiri(3A)
Home:SERANGOL
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