小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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天国のぼうふらと言われたことがある。ぼうふらには失礼かもしれないが、何の危険もない場所で安穏と暮らしている様を指した言葉だろう。言われた身としては苦笑いを返した覚えがある。明確な返答はしなかった。それは一つには、肯定も否定もできなかったからであり、いま一つには、発言主は地獄を見たのだという確信があったからである。
肯定も否定もできないということは、自覚がないということであろう。私の生きてきた人生にもそれなりの挫折や失望はあるけれども、どれも天国と地獄を見るような激しいものではない。私は今も自分の生きる現代を天国とは思えないけれども、地獄だとも思わない。天国だと言えるような、地獄だと言えるような強い経験を持たない。いくら地獄を見た者から天国と言われようと、私自身のうちに判断材料がなければウンともスンとも言いかねる。かくて私はやはり天国の岩ではなくぼうふらなのだろう。ふらふら。
自覚と言うのは怖ろしいエネルギーである。
スピンクスの謎にオイディプスが答え、道をふさぐ厄介な化け物を見事退治した話は有名だが、いったいなんだってスピンクスはなぞなぞに答えられたぐらいで死んだのか? スピンクスの伝説を書いたのはもちろん人間であろうから、スピンクスの側の事情を考えても埒が明かない。おそらくなぞなぞの答えである「それは人間だ」という一言がどんなに怖ろしいものかということを、スピンクスの死は示している。これは厄介な化け物を一撃で殺すほど怖ろしい問いかけなのだ、と教えるために。
では何がそんなに怖ろしいのか。
一般に流布しているであろうなぞなぞとその答えはこうである(Wikipediaから引用)。
問「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」
答「答えは人間である。何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩くからである」
しつこいようだが確認しておくと、なぞなぞをだしたのはスピンクスという化け物で、答えたのはオイディプスという人間である。他の誰もが答えられずに化け物に食われた(負けた)問いに、唯一オイディプスは人間として、人間の自覚を持っていたからこそ答えられた。朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものが人間だと自覚していなければ、答えられるはずがない。
先ほど私自身の経験から言って、天国と地獄の強烈な経験がなければ、たとえ天国に住んでいようと自ら知ることはない。自覚がなければ見えないのである。オイディプスはなぜ他の人間と違い、自覚を持って謎を解き明かすことができたのか? そしてまた、四つ足、二本足、三つ足の自覚が、なぜ化け物を殺すほどの恐ろしい力を持っているのか。
自覚と言うのは怖ろしいエネルギーである。
スピンクスの謎にオイディプスが答え、道をふさぐ厄介な化け物を見事退治した話は有名だが、いったいなんだってスピンクスはなぞなぞに答えられたぐらいで死んだのか? スピンクスの伝説を書いたのはもちろん人間であろうから、スピンクスの側の事情を考えても埒が明かない。おそらくなぞなぞの答えである「それは人間だ」という一言がどんなに怖ろしいものかということを、スピンクスの死は示している。これは厄介な化け物を一撃で殺すほど怖ろしい問いかけなのだ、と教えるために。
では何がそんなに怖ろしいのか。
一般に流布しているであろうなぞなぞとその答えはこうである(Wikipediaから引用)。
問「一つの声をもちながら、朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものは何か。その生き物は全ての生き物の中で最も姿を変える」
答「答えは人間である。何となれば人間は幼年期には四つ足で歩き、青年期には二本足で歩き、老いては杖をついて三つ足で歩くからである」
しつこいようだが確認しておくと、なぞなぞをだしたのはスピンクスという化け物で、答えたのはオイディプスという人間である。他の誰もが答えられずに化け物に食われた(負けた)問いに、唯一オイディプスは人間として、人間の自覚を持っていたからこそ答えられた。朝には四つ足、昼には二本足、夜には三つ足で歩くものが人間だと自覚していなければ、答えられるはずがない。
先ほど私自身の経験から言って、天国と地獄の強烈な経験がなければ、たとえ天国に住んでいようと自ら知ることはない。自覚がなければ見えないのである。オイディプスはなぜ他の人間と違い、自覚を持って謎を解き明かすことができたのか? そしてまた、四つ足、二本足、三つ足の自覚が、なぜ化け物を殺すほどの恐ろしい力を持っているのか。
(NOTE:No.210)
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