小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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天国のぼうふらと言われたことがある。ぼうふらには失礼かもしれないが、何の危険もない場所で安穏と暮らしている様を指した言葉だろう。言われた身としては苦笑いを返した覚えがある。明確な返答はしなかった。それは一つには、肯定も否定もできなかったからであり、いま一つには、発言主は地獄を見たのだという確信があったからである。
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巷も(少し前まで? 今も?)純愛ブームだそうだけれど、別にその流行について云々するつもりはなく。大河を書きながらふっとわき起こったのです。
少し前――今もやっているかもしれないが、朝日新聞社のテレビCMで幾人もの人が「言葉は○○。」と、各人の言葉に対する定義を口にするものがあった。新聞社のCMとしてはなかなかインパクトのある、興味を引く宣伝だったと思う。それにあやかってでもないが、今回は言葉は敵、敵を生むもの、ということについて少々。
仕事疲れの頭でニュースを見て、一瞬代表引退と現役引退との差が分からなかった管理人です、こんにちは。今日は彼の引退表明文を読んでいてつらつら考えたことを記しておこうと思います。
傷つきやすい心と「私は私」という考え方とは、一見反対して見えるもののようである。確かに「私は私だ」と割り切れる人は、他人から何を言われようと傷つかない強い人、という意見には一理ある。が、本当のところは傷つきやすい心の自衛手段として「私は私」という思い込みが発達したのではないか。
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