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小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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 境界のことについてずいぶん小説や雑談でもしゃべっているが、その実私は名づけられるような意味で「境界」なるものが普遍的に在るとは思っていない。空間的境界とは現代の境界観と相対的に見た結果生じたものであって、現代の我々は厳密に言って線分的境界観が生じる以前のことを、つまり過去の人間の境界体験そのものを洗い出すことなどできはしない。過去と現在に通底する何かが確実にあって、その伸縮、形態の差だけが問題にされるのならことは簡単で、例えばクラシックに憧れてあえてタイプライターを購入するように、過去にあった空間的境界について分析の限りを尽くし、古き良き時代に戻った気になればいいだけである。しかしPCやワープロを知る現代人が懐かしむタイプライターと、手書き社会を刷新する新技術として現れたタイプライターとは似て非なるものであって、そうした我々の見方以前に存在する絶対物などどこにもないのである。
 問題はむしろ、相対的な比較によってしか空間的境界を考えられない我々の認識にあるので、そのような認識の方法しか残されていない以上、現代人の考え得る空間的境界がそっくり過去にも実在していたと考えた途端、我々の思考はありもしないものへの空想に堕してしまう。だから、いま考えられる空間的境界は擬似的過去であり、現代人の私にとって必要とされ、過去をヒントにして新たに生み出されたものに過ぎない。
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 ギリシャ文字には詳しくありませんが、その形には心惹かれます。例えばΛはLの原形で、それがころんと転がって現在の形になったそうですが、何とも面白いなあと思います。日本語の仮名文字も漢字から作られていますが、それらは原形をくずしたり一部分を取ったりしてできあがったのであって、文字の向きを変えて造形されたものは一つもありません(…たぶん・苦笑)。私は言語学の専門家ではないので(むしろど素人)、これ以上は言わない方がいいのですが、縦書き文化と横書き文化の違いと言いますか、そう言うものを感じますね。
 ちなみに縦書き文字に支えられた日本では、歴史も一つの直線に上下に貫かれているような気がします。江戸から近代明治への転換には、これまでの歴史の横倒しを感じますが、それはまさに横書きの西欧から来たわけですから。産業革命にはじまる西欧の近代化は、彼らの文字が横書きだからこそ、つまり、横に倒して新しい文字を作る発想力があったからこそ成し得たのでは…なんて。。大げさですかね(汗)。ともかくそんなことをLとΛを眺めながらつらつら考えていました。かなりあやふやな知識で書いているので、激しく間違っているかもしれませんが…。
(NOTE:No.22)


About writer
Name:Misumi Eiri(3A)
Home:SERANGOL
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