小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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六月ですね〜。いやはやもう今年も半分終わったのかと思うと、時間の過ぎるのは早いなー、、と思います。みなさん、元旦の計は実行できてますか? 管理人はあれです、はなからそんなもの立ててません(……)。
ところで最近、トップページのレイアウトが変わったことにお気づきでしょうか。チャットではさりげなく(?)宣伝してますが、従来のNOVELやこのNOTEに加えてCOLORがお目見えしました。これまた連載小説に匹敵する何の役にも立たない不気味なコンテンツなのに、やってる本人はけっこう楽しんで作ってます――その名も「連想事典」!(別名「好き勝手事典」とも)
ところで最近、トップページのレイアウトが変わったことにお気づきでしょうか。チャットではさりげなく(?)宣伝してますが、従来のNOVELやこのNOTEに加えてCOLORがお目見えしました。これまた連載小説に匹敵する何の役にも立たない不気味なコンテンツなのに、やってる本人はけっこう楽しんで作ってます――その名も「連想事典」!(別名「好き勝手事典」とも)
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傷つきやすい心と「私は私」という考え方とは、一見反対して見えるもののようである。確かに「私は私だ」と割り切れる人は、他人から何を言われようと傷つかない強い人、という意見には一理ある。が、本当のところは傷つきやすい心の自衛手段として「私は私」という思い込みが発達したのではないか。
GW二日目の今日は仕事も一段落ついたのでせっせと愛車を磨くことにしました。半年ぶりぐらいにワックスがけもしてやることにしてですね。まあ、陽ざしも強い季節なので、日が傾きはじめたころに始めて暗くなり始める前に終わろう、と。私にしては珍しく計画的にペース配分まで考えて洗車をはじめたのですよ。
昨日は遠方の友人が来ていたので大原に行ってきました。三月だというのに雪の舞う日でめちゃくちゃ寒かったです。あまりの寒さに三千院と寂光院を巡るので精一杯、他の寺は次回保留になってしまいました。しかし、とにかくどこもかしこも空いていたのは良かったですね〜。
いや〜、このところの体調不良ですっかり更新が滞ってるダメダメ管理人です、すみません。全快まではあと一歩と言った感じです。
ところで文体です。私はいまだ自分の文体を語れるようなもの書きではありませんが、つねにそれを意識していますし、肉体としての言葉を模索している状態です。私にとっての文体とは、単純に文章の個性と言うことではありません。個性的な衣装をまとうこととひとりひとりの肉体に一つとして同じものがないこととは違います。奇抜な衣装や特殊なメークを施せば人は人外のものにも化けられますが、裸一貫でどうがんばっても額に角が生えてきたり下半身が魚になったりはしません。何百、何千もの裸体が群がる中に一体だけ角の生えたものがあればそれは目立つでしょうが、そうしたことはあり得ず、しかし同じような体たちの中で私の肉体は一つであってそれ以上ではない。角も鱗もない、何の変哲もない体であるけれども、私の体はこの世に一つしかない。言葉も然りです。私の文章はこの世に一つ、しかし文章は同時に他の誰にも通じる公共性、普遍性の中に存在している。その普遍的な大海原から自分だけの肉体(言葉)を探し出そうと思えば、おしゃれ鴉でいてはいけないんです。他の鳥の羽で自らを飾ってもその場しのぎにしかなりません。見た目だけ個性的でも意味がない。それは文体ではなくて、単に文を飾っているだけです。
いまの私の思考がおぼろげにつかみかけているものが、私の言葉によって受肉する日が来るのかどうか。ほとんど絶望の淵をさまよっている感がありますが、一応諦めるにはまだ早いかな、と思って書き続けているのです。
ところで文体です。私はいまだ自分の文体を語れるようなもの書きではありませんが、つねにそれを意識していますし、肉体としての言葉を模索している状態です。私にとっての文体とは、単純に文章の個性と言うことではありません。個性的な衣装をまとうこととひとりひとりの肉体に一つとして同じものがないこととは違います。奇抜な衣装や特殊なメークを施せば人は人外のものにも化けられますが、裸一貫でどうがんばっても額に角が生えてきたり下半身が魚になったりはしません。何百、何千もの裸体が群がる中に一体だけ角の生えたものがあればそれは目立つでしょうが、そうしたことはあり得ず、しかし同じような体たちの中で私の肉体は一つであってそれ以上ではない。角も鱗もない、何の変哲もない体であるけれども、私の体はこの世に一つしかない。言葉も然りです。私の文章はこの世に一つ、しかし文章は同時に他の誰にも通じる公共性、普遍性の中に存在している。その普遍的な大海原から自分だけの肉体(言葉)を探し出そうと思えば、おしゃれ鴉でいてはいけないんです。他の鳥の羽で自らを飾ってもその場しのぎにしかなりません。見た目だけ個性的でも意味がない。それは文体ではなくて、単に文を飾っているだけです。
いまの私の思考がおぼろげにつかみかけているものが、私の言葉によって受肉する日が来るのかどうか。ほとんど絶望の淵をさまよっている感がありますが、一応諦めるにはまだ早いかな、と思って書き続けているのです。
(NOTE:No.147)
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