小説執筆日記、サイト運営日誌、雑記その他
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ようやく完結にこぎつけた根暗ファンタジーについてあれこれ書いてみる。ご興味がございましたら以下どうぞ。
そも、根暗FTというジャンルはあるのだろうか? ……実は、作者自身は別段根暗とも何とも思っていないのだが、ある人いわく、ファンタジーといえばRPG風の冒険活劇が思い浮かぶのだそうで、そのイメージに比べれば、大河は少なくとも明るくはなかろう、と思うのである。
大河の涯、というだけあって、大河の話だ。川の流れが場面として頻出するわけではないけれども、ストーリーや全体の雰囲気がそこから離れないよう執筆時は気をつけた。大河をモチーフにしたのは、女性的なイメージを喚起したかったからである。そのイメージを助けるものとして、他に、黄昏、水妖、月の森などがある。これらが周囲を固める女々しい(?)空間の中で、意志薄弱なヒロインを軸に第一部と第二部は進む。オーレリーのあまりのグダグダぶりにイラついた読者の方もいらっしゃるかと思う。ご容赦願いたい。
オーレリーの対極にはロザリア女王がいる。女王だから女であることに変わりはないが、こちらは国の中心となって絶大な権力を手中にする。国の安定に尽力し、左右対称の王宮に住まい、足の悪いオーレリーを支配しようとする。
ダリウス公爵は媒介のような役目を果たす。彼は男だが、常に女の影がちらつく色男で、過去には不倫を犯して正道から外れている。彼はオーレリーと結婚し、社会的に夫婦となることで女王の明るい世界と妻のおぼろげな夢の世界を結ぶ、橋渡し役を務める。
ヴァリュースは風だ。女王が未来のために生き、オーレリーが過去を背負う水妖に準えられる女なら、彼は現在いまここの存在である。未来にも過去にも縛られない。短命種全体は、もう少し先まで書かないと見えてこないと思うが、現代社会における石油のようなものである。ようなというのは、もちろん生身の体と心を持つためだ。
とまあ、基本女だらけの「大河の涯」である。涯シリーズ全六巻の起点となる巻で、なぜ女に執着するのか、それは第三部に詳しい。第三部はインセスト・タブー、つまり近親相姦の話だから、肉親同士ということで嫌悪感を抱かれる方もいらっしゃるだろう。しかし意味もなく出したのではないから、これまた平にご容赦願う次第である。
第三部で私は、インセストを婚姻制度に対立するもの、社会の起源に関わるものとしてとらえ、インセスト・タブー(近親相姦禁忌)は、社会が女の産みのエネルギーを支配するためには不可欠な禁制であるとした。こう書くとまるで私が考え出した説のようだが、どえらい先達の偉大なる学説をつまみ食い、もとい参考にしたことは申すまでもない。
第三部の主役、セシル・セシリア兄妹はインセストの罪を犯す。この罪は原初的な母なるものに達する罪である。第一部・二部の女性的なところから第三部の母的なところまで遡り、「火雲の涯」の主役はここから生まれる。「大河」は丸ごと出発点の巻である。
ところで、話は飛ぶが、最近の生命科学の成果には目を見張るものがある。私は文系人間なので基本的知識さえ怪しいが、クローン技術や最近話題の万能細胞など、ニュースで概要を知るだけでも目から鱗の進歩である。これらの情報を前にして私が思うのは、そのうち本当に母体や子宮は要らなくなるかもなあ、ということだ。「大河」では、出産の支配こそが社会の目的である、としたが、医療の発達も生命科学の進歩も皆この目的の延長線上にあるだろう。産む母体を支配することには自ずと限界があるに違いないが、科学や技術の進歩には終わりがない、少なくとも終わりを想定して前進しているとは言えない。社会は、女の支配の限界を打ち破るため、産む母体としての女そのものを不要にできる方向へと進んでいる――と言えば言い過ぎだろうか? しかし、そんな危険な極論が思わず口をついてしまうほど、現代の私たちが生きる社会は、終わりなき未来をはらんで前進を続けている。
終わりなき前進は現在を常に途中経過にする。仮に不老不死を一つの到達点とするなら、その技術が確立していない現時点では、生老病死を未だ免れない現代人は、途中で死んでしまう憐れな犠牲者なのである。自分が生きているうちには不老不死なんて叶いっこないという諦念は、終わりがないことへの憂鬱となって、刻一刻と老い衰えつつある現代人の肉体を少しずつ蝕んでゆく。
……だが、はたして、死の恐怖の乗り越えは、死自体の否定によって本当に可能になるのだろうか?
「火雲」の舞台は乱世、人がたくさん死ぬ時代である。戦乱の世に生きる主人公がどのような生き様を見せるのか、私自身考えながらの執筆となる。性格上、あまり綿密な方でもないので、行き当たりばったりも三割ぐらい(もっと?)込みである。エンターテイメントにしては「大河」が地味すぎた気がするので、ストーリー的にも「火雲」はもうちょっとがんばりたい。ちなみに真善美の問題も少々考えてみたいので、「火雲」の主人公は超絶美形という設定にした(笑)。我ながら、王道だなあ、と思う。というか、涯シリーズに登場する設定は全てどこかしらベタだ。現代作家のアイデアを恣意的に真似たことはないが、かといって斬新な発想力はてんで持ち合わせていないから神話や伝承を大いに参考にしている。1%の才能の有無は如何ともしがたい。99%努力できる根気もないv 誰でも思いつきそうなネタ力の貧困は、いかに書くか、どれだけ書けるか、への挑戦で穴埋めしようと目論んでいる。甘いだろうか? まぁ、その辺はアマチュアの気楽さで〆切に追われることもないから、のんびりマイペースでやっていきたい。
よろしければ次巻以降もお付き合いください。
大河の涯、というだけあって、大河の話だ。川の流れが場面として頻出するわけではないけれども、ストーリーや全体の雰囲気がそこから離れないよう執筆時は気をつけた。大河をモチーフにしたのは、女性的なイメージを喚起したかったからである。そのイメージを助けるものとして、他に、黄昏、水妖、月の森などがある。これらが周囲を固める女々しい(?)空間の中で、意志薄弱なヒロインを軸に第一部と第二部は進む。オーレリーのあまりのグダグダぶりにイラついた読者の方もいらっしゃるかと思う。ご容赦願いたい。
オーレリーの対極にはロザリア女王がいる。女王だから女であることに変わりはないが、こちらは国の中心となって絶大な権力を手中にする。国の安定に尽力し、左右対称の王宮に住まい、足の悪いオーレリーを支配しようとする。
ダリウス公爵は媒介のような役目を果たす。彼は男だが、常に女の影がちらつく色男で、過去には不倫を犯して正道から外れている。彼はオーレリーと結婚し、社会的に夫婦となることで女王の明るい世界と妻のおぼろげな夢の世界を結ぶ、橋渡し役を務める。
ヴァリュースは風だ。女王が未来のために生き、オーレリーが過去を背負う水妖に準えられる女なら、彼は現在いまここの存在である。未来にも過去にも縛られない。短命種全体は、もう少し先まで書かないと見えてこないと思うが、現代社会における石油のようなものである。ようなというのは、もちろん生身の体と心を持つためだ。
とまあ、基本女だらけの「大河の涯」である。涯シリーズ全六巻の起点となる巻で、なぜ女に執着するのか、それは第三部に詳しい。第三部はインセスト・タブー、つまり近親相姦の話だから、肉親同士ということで嫌悪感を抱かれる方もいらっしゃるだろう。しかし意味もなく出したのではないから、これまた平にご容赦願う次第である。
第三部で私は、インセストを婚姻制度に対立するもの、社会の起源に関わるものとしてとらえ、インセスト・タブー(近親相姦禁忌)は、社会が女の産みのエネルギーを支配するためには不可欠な禁制であるとした。こう書くとまるで私が考え出した説のようだが、どえらい先達の偉大なる学説をつまみ食い、もとい参考にしたことは申すまでもない。
第三部の主役、セシル・セシリア兄妹はインセストの罪を犯す。この罪は原初的な母なるものに達する罪である。第一部・二部の女性的なところから第三部の母的なところまで遡り、「火雲の涯」の主役はここから生まれる。「大河」は丸ごと出発点の巻である。
ところで、話は飛ぶが、最近の生命科学の成果には目を見張るものがある。私は文系人間なので基本的知識さえ怪しいが、クローン技術や最近話題の万能細胞など、ニュースで概要を知るだけでも目から鱗の進歩である。これらの情報を前にして私が思うのは、そのうち本当に母体や子宮は要らなくなるかもなあ、ということだ。「大河」では、出産の支配こそが社会の目的である、としたが、医療の発達も生命科学の進歩も皆この目的の延長線上にあるだろう。産む母体を支配することには自ずと限界があるに違いないが、科学や技術の進歩には終わりがない、少なくとも終わりを想定して前進しているとは言えない。社会は、女の支配の限界を打ち破るため、産む母体としての女そのものを不要にできる方向へと進んでいる――と言えば言い過ぎだろうか? しかし、そんな危険な極論が思わず口をついてしまうほど、現代の私たちが生きる社会は、終わりなき未来をはらんで前進を続けている。
終わりなき前進は現在を常に途中経過にする。仮に不老不死を一つの到達点とするなら、その技術が確立していない現時点では、生老病死を未だ免れない現代人は、途中で死んでしまう憐れな犠牲者なのである。自分が生きているうちには不老不死なんて叶いっこないという諦念は、終わりがないことへの憂鬱となって、刻一刻と老い衰えつつある現代人の肉体を少しずつ蝕んでゆく。
……だが、はたして、死の恐怖の乗り越えは、死自体の否定によって本当に可能になるのだろうか?
「火雲」の舞台は乱世、人がたくさん死ぬ時代である。戦乱の世に生きる主人公がどのような生き様を見せるのか、私自身考えながらの執筆となる。性格上、あまり綿密な方でもないので、行き当たりばったりも三割ぐらい(もっと?)込みである。エンターテイメントにしては「大河」が地味すぎた気がするので、ストーリー的にも「火雲」はもうちょっとがんばりたい。ちなみに真善美の問題も少々考えてみたいので、「火雲」の主人公は超絶美形という設定にした(笑)。我ながら、王道だなあ、と思う。というか、涯シリーズに登場する設定は全てどこかしらベタだ。現代作家のアイデアを恣意的に真似たことはないが、かといって斬新な発想力はてんで持ち合わせていないから神話や伝承を大いに参考にしている。1%の才能の有無は如何ともしがたい。99%努力できる根気もないv 誰でも思いつきそうなネタ力の貧困は、いかに書くか、どれだけ書けるか、への挑戦で穴埋めしようと目論んでいる。甘いだろうか? まぁ、その辺はアマチュアの気楽さで〆切に追われることもないから、のんびりマイペースでやっていきたい。
よろしければ次巻以降もお付き合いください。
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